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Meu Pé de Laranja Lima ぼくのオレンジの木

ブラジル映画 (2012)

ジョゼ・マウロ・デ ヴァスコンセーロスの『ぼくのオレンジの木』(1968)の2回目の映画化の主人公ゼゼを、ジュアン・ギレアルミ・アヴィラ(João Guilherme Ávila)が演じる名作。原作は子供向きの絵本だが、2回目の映画化にあたっては、原作を一部変更し、よりスリリングでリアルな映像化が行われた。最大の変更点は、原作の時代設定が1925年であるのに対し、映画では、大人になったゼゼは映画の公開された2012年頃の人物〔持っているスマホがその当時のもの〕、従って、ゼゼの子供時代も1990年代の半ば頃となる。舞台となるのは、時代不明にも見えるブラジルの田舎町で、幹線道路も未だに未舗装、家の中の様子もとても1990年代とは思えない。それに輪をかけているのが、ゼゼの親友となるポルトゥーガの乗っている車。1950年製のシトロエン・トラクシオン・アヴァン(11BL)だが、1937年から製造されていて形も変わっていないので、一瞬戦前の話かと間違えるほどだ。それでも町かどでCDを売っていたりするので、急に現代に引き戻される。過去と現在が交差する不思議な世界だ。一方、1970年に公開された最初の映画化作品は、原作により忠実で、その中に出てくる車はどれも1925年当時に走っていた車ばかり。だから、ポルトゥーガの車もone of themで目立たないが、2012年版では、ブラジルでも珍しいヴィンテージカーなので恐ろしく目立つ。そして、ポルトゥーガはその車を使って、ディーゼル機関車と競争し、踏み切りをぎりぎりで通過するなど危険なことまでする。そして、ゼゼも駆けっこでその真似をする。こうした行為は、変化の少ない原作に、非常に大きなメリハリを付けている。原作を先に読んだ人には不満かもしれないが、映画としてみた場合には、この方が面白い。もう1つの大きな違いは、題名のオレンジの木そのものの扱い。原作では、オレンジの木は、ゼゼだけに聞こえる声で話しかける。1970年版でもこれを踏襲していて、木の声は大人が吹替えている。しかし、2012年版ではゼゼが声のトーンを落とし、1人2役を演じている。オレンジの木がしゃべるのではなく、ゼゼが空想の中で木と会話するという設定で、ある意味では、より現実的だ。1970年版と2012年版の それ以外の違いは、①ゼゼの年齢が1970年版では原作通りの5歳、2012年版では倍の10歳。しかし、悪戯の内容や話し言葉は同じなので、2012年版のゼゼには不満を感じてしまう。10歳なのに、まるで5歳みたいなのだ。②ゼゼは1970年版の方が活発で明るく強い。2012年版では態度が曖昧で、泣き虫で、弱い。小太りで、タレ目で、あまり可愛くない点も含め、1970年代版のゼゼを演じたジュリオ・セザール・クルース(Júlio César Cruz)の方に軍配を上げたい。③家庭環境は、2012年版の方がより貧しく、父親もより貧相で粗暴だ。④ポルトゥーガは、2012年版の方が断然カッコいい。残念ながら、1970年版はDVDの入手が不可能で、ここでは紹介できないが、写真を2枚だけ付けておこう〔画質はかなり悪い〕。1枚目は、ゼゼが最初にオレンジの木と出会い、木に乗って語り合う重要なシーン。木の大きさは、2012年版とそっくりだ。2枚目は、映画の最後の方で、ゼゼがポルトゥーガに養子にしてくれと頼むシーン。場所はやはり大木の下。
  
  

ゼゼは10歳の悪戯好きな少年。家庭内では、生意気な態度から、父だけなく長女からも叩かれている。そんなゼゼを好いていてくれるのは、次女のゴダイアと、エドムンド伯父と、学校のパイム先生くらいのもの。映画の前半は、そうしたゼゼの日常が淡々と描かれる。そんな中でも大きな出来事は、父の失業が長期化し、経済的にそれまでの家には住めなくなり、引越しを迫られたこと。しかし、ゼゼにとって幸いなことに、引っ越した先のあばら家の裏庭には、ゼゼの新しい友達となるオレンジの木があった。もっとも、友達といっても、ゼゼが1人2役でオレンジの木にもなる想像上の友達だ。ゼゼの孤独で内向的な性格がよく分かる。原作のように、木に個性があり、木の方から話しかけるという設定だと、ゼゼにそのような暗さはない。もう1つの出会いが、町一番の金持ちのポルトガル人ポルトゥーガとの2度の遭遇。最初は、ポルトゥーガが、ディーゼル機関車と競うように車を走らせ、衝突寸前に踏み切りを渡るシーン。2つ目は、ゼゼが、ポルトゥーガの車のリアバンパーに乗って、悪ガキ連の「英雄」になろうとして、逆に、ポルトゥーガに尻を叩かれ、恥をかくシーン。これでゼゼの対ポルトゥーガ感情は最悪となるが、ゼゼがガラスの破片を踏んで大ケガをした際、ポルトゥーガが助けてくれことで、新たな展開を見せる。そして、最後には、2人の友情は強く太くなり、ゼゼが、自分を養子にしてくれと頼むまでになる。ポルトゥーガはそれを断るが、代わりに、「父親から息子へ受け継がせる」ほど大切な万年筆を、ゼゼにプレゼントしてくれる。これは、将来、ゼゼが小説家になるきっかけを与えた重要な行為だ。しかし、その直後、ポルトゥーガはディーゼル機関車と再び競争し、衝突して帰らぬ人となる。ショックで深いトウウマを負うゼゼ。そのゼゼを立ち直らせたのは、オレンジの木と、ディーゼル機関車との駆けっこ競争で勝ったことだった。

ジュアン・ギレアルミ・アヴィラは出演時10歳。これが、映画は初出演。初出演にして出ずっぱりの主演というのは、少し荷が重すぎたか。頑張っていることは分かるのだが、1970年版の5歳のジュリオ・セザール・クルースに負けている。


あらすじ

映画は、本編の前に、5分間の序章が加えられている。20代になったゼゼが初めて執筆した自伝的児童小説が出版されることになり、製本された本がアパートに届けられるシーンからスタートする。届けられたきれいな絵本を見て、棚から手書きの原稿を取り出し、それを絵本の上に置くゼゼ。そして執筆に使ったポルトゥーガの金の万年筆を、その脇にそっと並べる(1枚目の写真、この万年筆はこの後何度も登場する)。アパートから出たゼゼは、前の道に停めてあるシトロエン・トラクシオン・アヴァン(Citroën Traction Avant 11BL)に乗り込む(2枚目の写真、矢印)。かつてポルトゥーガが愛用していたのと同じ1950年製のヴィンテージカーだ。前後の車が最新式の型だけに、ひと際目立つ。舗石道路の上には、洒落た形で映画のタイトルが表示されている。ゼゼが向かったのは、自分の生まれた町の墓地にあるポルトゥーガの墓。ゼゼは、墓に着くと、感謝を込めて墓石の上に原稿を置く。そして、墓にたたずんで昔を思い出していると、10歳のゼゼが墓の前を走って行く(3枚目の写真、矢印の下)。
  
  
  

墓地の塀の上を走るゼゼ(1枚目の写真)。そこは、もう、10数年前の世界だ。映画はきわめて自然に、現在から過去へと入っていく。10数年前といっても、そこは1990年代で、先に記したように、原作とは大幅に違った世界だ。ゼゼが線路沿いに走っているとディーゼル機関車が背後から迫ってくる。ここから、ゼゼの台詞が始まる。「もうすぐ あなた〔キリスト〕の誕生日だよね。みんながお祝いするけど、誰からもプレゼントはもらえないでしょ」。ここで画面は教会に切り替わる。祭壇の前に座ったゼゼ。キリスト像に向かって話し続ける。「それって、僕んちと同じ。プレゼントはなし」「あなたも貧しいんだってね。でも、お父さん〔神〕には仕事があるから、ぶたれないよね?」(2枚目の写真)「僕は子供だから、いつもぶたれてる。父さんは、ずーっと失業してるんだ」「母さんは遠くで働いてて、いつも疲れてる」「僕の中には悪魔がいるって、みんなが言うんだ。ひどいだろ」「いい子じゃないことは知ってるよ。でも助けて、イエス様」(3枚目の写真)「弟のルイス知ってる? もし弟に素敵なクリスマス・プレゼントくれたら、僕、1年間ずっといい子でいるよ」。
  
  
  

ゼゼが、弟のルイスと手をつないで野道を歩いている。「ボクに歌ってよ、ゼゼ」。「歌ってる」。「何も聞こえないよ」。「心の中で歌ってるんだ」。そして、内緒話をするように、「僕の中には小鳥がいるんだ」と教える(1枚目の写真)。「誓ってホント?」。「ホントさ」。「いつか、お前に譲ってやる」。町の中心まで来た2人は、店の前の歩道に座る。近くではCD売りがギターを弾きながら、サンタクロースとプレゼントについて歌っている。プレゼントがもらえそうにない弟は、頭を抱えている。ゼゼが、「お前は、プレゼントもらえるぞ。絶対だ」と話しかけると、弟は、「悲しくないの?」と訊く(2枚目の写真)。ゼゼ:「悲しくても、泣いちゃダメだ」。その時、横に停まっていたシトロエンに男が乗り込み、出て行く。ゼゼは、「いつか、あれと同じ車を買うんだ」と自分に言い聞かせるように話す。夕食の席で、母が「エドムンド伯父さんが病気で、明日、治療のためリオに行くそうよ」と話す。すると父が、「俺達は、来月、この家を明け渡さんといかん」と打ち明ける。貧しくて家賃を払えなくなったのだ。翌朝、ゼゼが寝室で兄トトーカに、「サンタは、あの靴にルイスへのプレゼント入れたかな?」と訊く。そして、中を覗き何もないことが分かると、「貧しい父さんってサイテー」と言うが、父が部屋の入口にいるのに気付き、「しまった」という顔をする(3枚目の写真、矢印の下に父親)。父が去った後で靴を投げ捨てるが、後の祭り。兄は、「お前ってヤな奴だな」。「父さんがいたなんて…」。「父さんは貧しくない。失業中なだけだ。お前なんか消えちまえ、この悪魔ヤロウ」。
  
  
  

父と兄が仲良く家を出て行くのを見て、悔しくて涙にくれるゼゼ。その反動から、ゼゼは近くのNega Ephigeniaおばさん〔原作による〕の木の柵に火を点ける。原作のゼゼは悪戯ばかりしているが、映画では、ゼゼがする悪質な悪戯は、この放火と、後の方の「製造中の鉢壊し」くらいだ。その後、町かどに座ったゼゼは、何とか父に気に入られるすべはないかと考える(1枚目の写真)。辿り着いた結論は、靴磨きでお金を稼ぎ、父にプレゼントを買うこと。顔見知りの菓子屋に行き、店の前で靴磨きをしていいか尋ねる。店の主人は快諾し、ゼゼにお菓子までプレゼントしてくれる。しかし、いざ開業しても、客はとんと来ない(2枚目の写真)。見かねた主人が「この通りは 埃が多くていかんな」と言って、客になってくれる。他に客があったかどうかは不明だが、真っ暗になってから帰宅したゼゼは、1人で小さな庭にいる父の元に行き、「父さん、この輸入製のタバコ、買ったんだ。吸ってよ。店で一番きれいな箱だったんだ」と言って渡す。匂いを嗅いだ父は、「いいタバコだな」と褒める。「父さん、僕イヤな奴じゃ…」。「泣くんじゃない。貧しい父親を持つのは、本当にサイテーなんだ」と言うと、「ここにおいで」と呼び、頬に触って隣に座らせる。そして、「この1本、最後まで吸うぞ」と、火を点ける(3枚目の写真)。ゼゼの顔が白いのは、懐中電灯で自分の顔を照らしているから。2人の仲がこんなにいいのは、映画の最後になって失業から抜け出すまで、もう一度もない。
  
  
  

単線鉄道と、未舗装の幹線道路との交差部近くにあるバスの待合所。この遮断機のない踏み切りは、映画の中で、オレンジの木と並ぶ重要な場所だ。ここで多くのことが起きるが、その最初の出来事がエドムンド伯父との別れ。ゼゼは、待合所にいる伯父に駆け寄る。「なぜ、わしの家に来なかった?」。「ちょうど、探し物してて」。伯父はゼゼの頭を抱き寄せる。「痛いよ」。「どうした?」。「ぶたれちゃったから」。「来てくれて嬉しいよ」(1枚目の写真、矢印は持ち物の鞄)「もうすぐバスが来る。途中で故障してなきゃな」。「持ち物、それっぽっち?」。「みんな売っ払ったが、これだけは手放さなんだ。いつもの隠し場所に、マンガを残しておいたぞ」。「もう帰ってこないの? ここにも、お医者さん いるじゃない?」。「近くに病院がないとな。わしは老人だろ? 老人なんか誰が好いてくれる? 薬だけだ」。ゼゼは、「その冗談、まあまあだね」とニヤリとする。しかし、笑ったのはそれ1回だけ。「いつか、そっちに行ったら、お話し聴かせてくれる?」。「もちろん」。ゼゼは、「秘密だよ」と言って、「いつか、僕、ここ出てくんだ。うんと若いうちに。海が見てみたいから」。「約束だぞ。世界中を回った話を聴かせておくれ」。そう言った後で、「会えなくなると寂しいなぁ。お前は、わしの一番のお気に入りだから」。それを聞いてゼゼは涙ぐむ(2枚目の写真)。しかし、ゼゼは突然立ち上がると、「さよなら、伯父さん」と言い出す。「バスが来るまで一緒にいるんじゃないのか?」。「やることがある。それに、伯父さんが泣くの見たくないんだ」。握手しようと差し出したゼゼの手を取り、そのまま抱きしめる伯父。そこにバスがやってくる(3枚目の写真)。こうして、ゼゼを理解してくれる唯一の親戚は去ってしまった。
  
  
  

ゼゼは、弟のルイスを竹藪の「動物園」に連れて来る。上から見下したカメラ・アングルが面白い(1枚目の写真)。鳥だけでなく、空想上のライオンもいる。「ライオンは百獣の王だ。みんなの面倒を見てくれる」。次に2人が向かったのは「飛行機」。地面に2つ穴を掘り(操縦席と、後方のルイスの席)、バナナの葉を翼に見立てただけのシンプルなものだ。ゼゼはボトルのキャップで作った操縦席のつまみをまわすと、両手でプロペラに見立てた自転車の車輪を回し(2枚目の写真)、いざ離陸。ゼゼの空想癖を示す良い例だ。今日が引っ越しなので、飛行機ゴッコは今日が最後。ゼゼは、家に戻る途中で父に捕まり、「二度と よそ様の柵に放火するんじゃないぞ。ずっと見張ってるからな」と厳重注意される。そして、荷物ごと荷馬車に乗って引っ越し先に向かう〔1990年代で荷馬車というのも変な話だが、ブラジルの事情は分からない〕。ゼゼは兄のトトーカと一緒に座る。兄:「今、何 考えてるんだ?」。ゼゼ:「リオに行って、伯父さんに会いたい。マンガラチバ鉄道みたいに」〔リオと、西80キロにあるマンガラチバを結ぶ列車〕。「良くなって戻ってくるさ」。「エドムンド伯父さんは良くならない。死ぬんだ」。「リオじゃ、毎日誰かが死んでる」。「ここじゃ、死なないの?」。「ああ」。
  
  

その時、マヌエル・ヴァラダリスのシトロエンがやってくるのが見える。子供たちは誰も本名では呼ばない。ポルトガル人(Português)なので、ポルトゥーガ(Portuga)と呼んでいる。その時、マンガラチバ鉄道のディーゼル機関車もやってきた。踏み切りで両者はクロスすることになる。シトロエンは、この時点でも40年以上前のヴィンテージカーなので、それほど高速が出るとは思えないが、ポルトゥーガは一向にスピードを落とす気配はなく、列車が通過する前に踏み切りを渡る気だ。しかし、道路は未舗装のガタガタ道で、あちこちに水溜りもあり、最悪のコンディション。思わず、もうダメだという顔をするゼゼ(1枚目の写真)。しかし、シトロエンはぎりぎり数メートルの差で、衝突することなく踏み切りを渡り終える(2枚目の写真)。原作にはないが、このポルトゥーガの一種の冒険心が、映画の中で大きな意味を持っている。「すごいや。ポルトゥーガって、男の中の男だな。いつか、あの車のリヤバンパーに乗ってやるぞ」
  
  

荷馬車は、新しい家の前に着く。お金がないだけあって、そこは線路際の見捨てられたような家だった。ゼゼとトトーカが裏庭にいると、姉のゴダイアが、「私の木よ」と言って1本の大きな木に抱きつく。すかさずトトーカも、「これ俺のだ」と別の大木に抱きつく。残った木は他にない。「僕は、どうなるのさ」。「そこに あるじゃない」。それは、小さなオレンジの木だった(1枚目の写真、矢印の下にオレンジの木)。「こんなの要らないよ」。ゴダイアは、「可愛いオレンジの木じゃない。世話してやれば立派になるわ」。「もっと大きなのがいい。こんなの折れちゃうよ」。「あんたみたいにピンキー(チビちゃん)だけど、大きな木になるわ」。オレンジの木の根元に座り込んだゼゼが、自作自演で話し始める。この点が、設定年代と、ポルトゥーガの冒険癖と並び、原作と違う大きな点。原作ではオレンジがゼゼだけに聴こえる言葉で話しかけるが、映画では、ゼゼが空想癖を活かして「木が話しかけているフリ」をする。ゼゼは低い声で「君の姉さんは正しい。信じるんだ」と木になったつもりで話す。自分でそう言ったにもかかわらず、ゼゼは声が自分の胸の中から聞こえてきたかと、シャツの中を覗く。「鳥じゃない。僕だ、ピンキーだ。君の可愛いオレンジの木だ」〔以前、ゼゼは「僕の中には小鳥がいる」と言っていた〕。「どこから声を出してるの?」。「すべてからだ」(2枚目の写真)「枝にもたれれば、鼓動が聞こえるぞ」。口を尖らせてドキンドキンと音を出すゼゼ(3枚目の写真)。
  
  
  

「登れよ。いい物を見せてやる」。「枝が細いから、折れちゃわない?」。「注意すりゃいい」。地面に足をつけたまま細い枝に馬乗りになるゼゼ。姉に向かって、「ゴダイア、ピンキーって何?」と大声で訊く(1枚目の写真)。姉は、小指を揺らしながら、「これがピンキーよ」と答える。そのまま枝を揺らし続けていると、いつしかゼゼは、白馬に乗っている気になる。この時の映像がとても美しい(2枚目の写真)。ゼゼは夕方になるまで馬を走らせ続ける。「なあ、ピンキー、いつか僕はここから出て、リオに行くんだ」。こうして、ピンキーこと、オレンジの木はゼゼの友達となった。
  
  

ゼゼが、家の前の線路沿いに歩いていると、悪ガキ連が騒いでいる(1枚目の写真)。ゼゼ:「ポルトゥーガの車のバンパーに乗るガッツのある奴いるか?」。ボスは、「お前だろ。車なら喫茶店の前に停まってるぞ」と言う。他の少年は「あいつ、バンパーに乗ったら、おちんちんをちょん切るって言ってたぞ」と本気で助言し、別の少年が「ちっちゃ過ぎて見えないかもな」と冷やかす。それを聞いて全員が笑う。それを無視して町に向かうゼゼの後を、みんなが どうなることかと期待して付いていく。町に着いたゼゼは、こっそりとシトロエンに接近。その時、ポルトゥーガが店から出てきて車に乗り込む。エンジンがかかった時、ゼゼは飛び出してバンパーに乗る。すると、どうしてもリア・ウインドーから顔が丸見えとなる。当然、ポルトゥーガも気付く。しかし、ゼゼの頭の中は、自分が喝采を浴びている姿で一杯となり、注意力散漫となる。誇らしい空想は、ポルトゥーガにより突然打ち切られる。いきなり襟と耳をつかまれたのだ。「この虫けらめ、わしをバカにしたな」(2枚目の写真)「このイタズラ小僧」。そして、隠れるように見ている悪ガキ連を見ながら、「お前たち、よく覚えておけ。今度わしの車に触ったら、股間のソーセージをちょん切ってやるからな」と警告し、ゼゼのお尻を何度も叩く。それを見て笑う悪ガキ連。面目丸つぶれのゼゼは、「僕が大きくなったら、お前なんか殺してやる、ポルトゥーガのクソッタレ!」と怒って叫ぶ(3枚目の写真)。
  
  
  

ゼゼと小学校のパイム先生との交流は、心温まる挿話だ。授業中ゼゼが手を上げる(1枚目の写真)。「何なの、ゼゼ?」。「もう一度言ってもらえません?」。ここからゼゼと、自宅にあるオレンジの木との会話が始まる。「僕の先生は シシリア・パイム先生。みんなは、僕が町中で一番の悪戯っ子だって先生に話すけど、先生は信じない。だから僕は、先生をがっかりさせないよう、おとなしくしてるんだ」「先生は僕を好いててくれるけど、他のみんなは先生が好きじゃない」(2枚目の写真)「どの先生も、教壇のグラスに花が入ってるのに、パイム先生は一度も花をもらってない」。ある日、ゼゼは遅刻して教室に入ってくる。「ゼゼ、もう3時限よ。遅刻じゃないの」。そこで、ゼゼは1本の真っ赤なバラの花を差し出す(3枚目の写真)。「グラスに入れていいですか?」。「もちろんよ」。ゼゼがバラをグラスに入れると、先生が「どうもありがとう、ゼゼ」と微笑む。家に帰ったゼゼ。オレンジの木の立場で「あれって、おべっかじゃないのか?」と自問し、「先生、いつも僕によくしてくれるから」と答える。
  
  
  

ゼゼは、町かどの屋台でCDを売っていう男が、ギターで歌うのが好きだ。その日は、前に立って嬉しそうに聴いていた(1枚目の写真)。客は集まってくるが、なかなか売れないので、ゼゼに「買いたいのか?」と訊くが、返事は「お金なんかないよ」。「だろうな」。男は、売れないので店をたたんで歩き始めるが、ゼゼはその後を付いていく。「何の用だ? お前、シラミの一種か?」。「ううん、あなたの歌、すごく良かったから」。そして、「僕、考えたんだ。あなたが歌って踊る。そしたら僕が売る。相手が小さな子なら、買ってくれるよ」。「良さそうだな。だが、金はやれんぞ。景気が悪い。客がどんどん減ってく」。「もし僕がたくさん売ったら、リオへ連れてってくれる?」。「いいや。一度に一つずつだ。まず売らんとな」。町かどで仕事を始める2人。男がギターで歌い始めると客が寄ってくる。ゼゼは、「1枚どう、5レアルだよ」〔1994以降なら1レアル=1ドル〕「父ちゃん助けてよ。失業中なんだ。仕事ないんだ。僕を助けてよ。1枚どう? 5レアルだよ。とっても安いよ。失業した父ちゃんを助けてよ」。しかし、その背後にゼゼの父がいて、この様子を見られてしまう(2枚目の写真、矢印のボケた人物が父)。夜。部屋の隅で、ゼゼは稼いだお金35レアルを数えて、宝物入れの缶に入れた。それにしても、1枚5レアルでCDを売り、35レアルももらえたということは、半額もらったとしても14枚は売ったことになる。すごい宣伝効果だ。その時、父が寄ってきて、「その缶を寄こせ」と手を出す(3枚目の写真)。「失業したのは俺だ。だから、その金は俺のだ」。ゼゼは「僕のだ」と争うが、床に突き飛ばされる。父は缶ごと持って行った。何と浅ましい姿。このお金で酔っ払おうという魂胆だ。
  
  
  

翌日、オレンジの木の下に座ったゼゼの前には、空想上の海岸が広がっている。「この裏庭の外には、広い世界があるんだ。知ってたかい?」。「まだ悲しんでるのか、ゼゼ?」。「外の世界ってどんななんだろう?」。「こことは違ってるに決まってるだろ」。「君みたいな可愛いオレンジの木、他にもいると思う? 僕みたいな子も?」(1枚目の写真)。次のシーンで、ゼゼは裏庭の竹で出来た柵をこじ開け、隙間から隣の家の裏庭に入り込む。そして、そこに生えていた大きなオレンジの木から、実をもごうとした時、「出てけ、この こそ泥!」と罵声を浴びせられる。慌てて逃げるゼゼは、地面に落ちていた割れたビール瓶を、素足で踏んでしまう(2枚目の写真、矢印は割れた瓶)。柵の隙間をくぐるゼゼの顔は苦痛に歪む(3枚目の写真)。何とか家に入ったゼゼは、姉に、「ゴダイア、何で、僕は誰からも好かれないの?」と訊く。「そんなこと言わないの。私は大好きよ」。「お願い、今日は、誰にも叩かせないでよ」。「今日はもうすぐ終わるわ。バカやってる時間ないでしょ」。「もう やっちゃったんだ」。
  
  
  

ゼゼが ケガした足をかばいながら道端を歩いていると、ポルトゥーガのシトロエンが通りかかる(1枚目の写真)。哀れな姿に気付いたポルトゥーガは車を減速し、「おい、坊や、足をケガしたのか?」と訊く。「行っちまえ。どうせ笑うんだろ」。お尻を叩かれ、恥をさらされたので、返事はすげない。しかし、ポルトゥーガが車を停めて、行く手を遮るようにドアを開けると、渋々立ち止まってポルトゥーガの方を見る。「すごく痛むのか? どうしたんだ?」。「マンゴーを踏んだ」。「マンゴーじゃケガはせん」。「ガラスの破片だった」。「深くか?」。ゼゼは、指で5センチくらいと示す。「なんで家にいない」。「ぶたれるだけだ」。「分かった。乗れ。学校まで乗せてってやる」。「やだよ。お尻叩かれるの、みんなに見られたろ」。「なら、学校の手前で降ろしてやる」。「仇同士だからな」。「魔法の車に乗れるんだぞ」。「魔法じゃない」。「そうだな。だが、世界一の車だ。それに乗れるんだぞ」。渋々同意するゼゼ(2枚目の写真)。しかし、いざ車が動き出すと、ゼゼは窓から顔を出して大喜び(3枚目の写真)。ポルトゥーガはゼゼを学校には連れて行かず、医者に直行する。医者は傷を洗って消毒し、4針縫った。次に、ポルトゥーガはゼゼを連れて、行きつけの喫茶店へ。「4針縫ったが、ぐち一つこぼさんかった。勇気のある子だ」。ゼゼは、ケーキを食べさせてもらい、しごく ご満悦。「その瞬間、僕は気が付いた。ポルトゥーガは世界一いい人だ」。
  
  
  

ゼゼは、オレンジの木に向かって、ポルトゥーガの家を初めて訪れた時のことを話している。「ポルトゥーガはね、ジャングルの真ん中に住んでるんだ」。そして、場面は、ゼゼが「危険、高電圧」と書かれた裏口の扉を開けて、庭に入って行くシーンに変わる。そこは、ジャングルではないが、自然溢れる広大な庭だ。奥に入って行くと、電動ノコの音が聞こえる。ゼゼは、大きな剪定バサミを持ったポルトゥーガの姿に、一瞬、お尻を叩かれた時の脅し文句を思い出し、股間を押さえる(1枚目の写真)。「ここで… ちょん切るの?」。「花や枝を切るんだよ。庭は気に入ったかい? 足はどうだ? 良くなったかな?」。「ぜんぜん痛くないよ」。「朝食、食べるか?」。うなずくゼゼ。その後、ゼゼがオレンジの木に、いかにポルトゥーガの家がすごいかを興奮して話す言葉と、映像が重なる。そして、最後には、オレンジの木の「馬」よりは、ポルトゥーガの「車」の方が ずっと早いと言い切る。この時点で、ゼゼの一番の友達は、オレンジの木からポルトゥーガに移行した。ゼゼは、朝食を1人で食べながら、万年筆を走らせるポルトゥーガを見ている。「そんなペン、見たことないよ」。「ヨーロッパで買ったんだ。これは一種の継承物なんだ」。「けいしょうぶつって?」(2枚目の写真)。「父親から息子へと受け継いでいくものだ」。食事の後、ゼゼが連れて行かれたのが日時計(3枚目の写真)。下の鉄板にできた影の「10,11」という数字の中央に線が通っている。「ほんとに10時半なの?」。「ああ、この時計は正確だぞ。お日様が出ていれば、時を知らせてくれる。例えば、この時間なら、君の年の子供は学校に行っていないといかん、と教えてくれる」。「今は、職員会議なんだ」。「だから、その箱を持ってるのか?」。「兄さんの靴磨きの箱だよ。みんな、僕が何かやらかすと思ってる」。「君は、そんなに悪戯なのかい?」。「体の中に悪魔がいるんだ。ホントだよ。だから ひどく殴られるんだ」。「悪魔とやらは、何をするんだい?」。「いろいろ。陰口おばさんの塀に放火したし、ボールで鏡も割っちゃった。高慢ちきな子の頭に石を投げたこともあるよ。教会の歩道にロウを塗った時は、おばあさんと神父さんが滑っちゃった」。「ずい分 忙しい悪魔だな。いいかい、どんな子供も みんな悪魔を抱えてる。わしが君の年頃の時も、いっぱいやらかしたもんさ」。
  
  
  

ゼゼは、町でポルトゥーガと会う。待ち合わせていたのかどうかは分からない。「君の足、奇跡のように治ったな。車にお乗り。ドライブしよう」。車の中で、ゼゼは、「マヌエルさん」と声をかける。「弟以外、誰にも見せてないものがあるんだけど、見たい?」と訊いてみる。「もちろんだよ」。ゼゼは、水力発電用の送水鉄管の上を歩いて、竹藪の「動物園」に案内する。「ここが、ホワイトライオンの檻。中国のサーカスが 連れてっちゃった」「あれが、エジプトの王様のものだったクロヒョウ。逃げ出してここに来たんだ」「アフリカから来たゴリラもいる。ちょっと神経質だけど、襲ったりしないよ」。嬉しそうに説明するゼゼ(1枚目の写真)。「気に入った? 僕、前はここに住んでたんだ」。「ゼゼ、素晴らしいよ。世界一の動物園だ。なぜだと思う?」。ポルトゥーガは、ゼゼの頭に触れ、「ここから来たからだ」と言い、さらに、「頼まれてくれるかな? わし等が会う度に、新しい話をしてくれるかい?」と訊く。「そんなにたくさんの話、作れないよ」(3枚目の写真)。ポルトゥーガは、「戻ろう。車が待ってる」と言って、車のキーを放って寄こす。「ホントに、この車、半分僕のもの?」。「そうさ。半分はわし、半分は君のものだ」。「娘さん、怒らない?」。「いいや。娘はもう年だし、ポルトガルに住んでる。だが、一つお願いがある」。「なぁに?」。「わしを殺そうと、早く大きくなろうとしないこと」。ポルトゥーガは、ゼゼの家の前まで送ってくれる。ゼゼは、突然「いつまでも、『あなた』って呼びたくないよ」と言い出す。「じゃあ、名前で呼べばいい。マヌエルって」。「ううん、マヌエルはダメ」。「なら、何て呼びたいんだい?」。「町のみんなが使ってる呼び名だよ」。「君って、実に生意気な子だね」。「ポルトゥーガって、すごく、親しみやすいんだもん」と言って微笑む(3枚目の写真)。「いいだろう」。
  
  
  

ゼゼは、弟のルイスに、「友達のポルトゥーガのために、凧を作るんだ。僕らだけの秘密だぞ」と話している(1枚目の写真)。凧の布は完成している。その時、長女が、「ルイス、ゼゼ、食事よ」と呼びにくる。弟は喜んですぐに行ったが、ゼゼは凧に熱中している。「ゼゼ、あんたもよ」。「今行く」。「来なさいってば」。「待ってよ、行くから」。イライラした姉が、ずかずかと寄ってくると、「お聞き、お前、つんぼかい? あたしを何だと思ってんのさ」と、ゼゼの体をつかんで引っ張る。「来なさい」。「いやだ。放せよ」。「タチの悪いガキだね! 来るんだ!」。逃げ出したゼゼに怒った姉は、凧をぐちゃぐちゃにする。「やめろよ!」。「ほら、お前の凧だよ」。「よくもやったな、この売女!」。「今、何て言った?!」。「売女!」。姉は棒をつかんでゼゼを滅多打ちにする。それを見たゴダイアが割って入る。「やめなさいよ! 殺す気なの? 恥ずかしくないの?」。ゴダイアは床に倒れたゼゼを(2枚目の写真)助け起こし、「すごく痛い?」「凧作るの手伝ってあげる」と慰めてくれる。それにしても鬼のような長女と、天使のような次女だ。その夜、ゼゼは自分の「鳥」を、ルイスに譲ってやる。「鳥はもう僕には歌わない。今度から、お前だけに歌うんだ」。
  
  

ゼゼの「いい子でいるのに、不公平だ」という怒りは、さらなる悪戯となってエスカレートする。天日乾燥中の鉢の上を踏んで歩く(1枚目の写真)などというのは、悪戯の範疇を越えた犯罪行為で、製造者から両親が訴えられても不思議はない。仲間と遊んでいてそれを見た兄トトーカは、「こんなトコで何してる? 家に帰れ。思い切り叩かれたじゃないか」と忠告するが、ゼゼは「僕は悪魔だ!」と怒鳴り返す(2枚目の写真)。それを聞いて笑う悪ガキ連。ゼゼは、悪ガキ連を引き連れて教会に入って行くと、祭壇の前に供えられたロウソクの火を、次から次へと吹き消していく。兄は、「やめろ、ゼゼ。父さんにぶたれるぞ」と言うがやめない(3枚目の写真)。悪ガキ連が手を叩いてはやし立てる。そこに、騒ぎを聞きつけて教会の聖具室係が現れる。「こら、何してる? これは悪ふざけじゃ済まん。冒涜だぞ!」。ロウソウを全部消し終わり、ゼゼは「これで、終わった」と言って意気揚々と教会を逃げ去る。ボスはゼゼに「今日は 憑かれてるな」と言い、別な子は「リアバンパーに乗って見せろよ」。「まだ小さいぞ」。兄:「この前、ポルトゥーガの車に挑戦したじゃないか」と、かまびすしい。ゼゼは、「僕、やるぞ」と宣言し、小型のトラックのリアバンパーに乗ることに成功。途中、酒の入ったコップを手にした父を見つけると、意図的にその前で車を飛び降りる。父は、敗残者のように家に帰っていく。
  
  
  

父の後をつけて家に戻ったゼゼ。暗い室内で1人座っている父のそばに近付いて、じっと父を見る。「なんで俺を見てる? お前はどうしようもない奴だ」(1枚目の写真)「とっとと失せろ。顔なんか見たくない」。「今日は、叩かないの?」。「叩かん。今日はな」。ゼゼはそのまま外出し、1人で歩いていると、兄が「ゼゼ、頼む、助けてくれ」と駆け寄ってくる。「ボスに殴られちまう」。「だから、逃げるの?」。「ああ、あいつ強いだろ」。「どこにいる?」。ゼゼは池の端で遊んでいる悪ガキ連を見つけると、ボスの名前を大声で叫ぶと、「殺してやる、この飲んだくれの ろくでなし!」と言いながらボスに飛びかかる。最初は優勢だったが、体格の差は大きく、すぐに馬乗りになったボスからパンチの連打を浴びる。敗北し、ぬかるみの上にだらしなく横たわるゼゼ。それを、ボスが見下したように見る(2枚目の写真)〔ゼゼが 小太りなことがよく分かる〕。屈辱感で泣くゼゼ。落ち込んだゼゼは、喫茶店にいるポルトゥーガに会いに行く。「今日は、来るだろうって思ってた。どうしたんだ?」。「病気だった」。「友達には正直に。ホントは何があった?」(3枚目の写真)。「ここじゃダメ。車でドライブしようよ」。
  
  
  

ゼゼお気に入りの送水鉄管の上に仲良く並んで座った2人。「みんなが僕をぶつんだ」と打ち明ける。「始めたのは父さん。だけど、いいさ、殺してやるから」。「何だと? お父さんを殺すのか?」と驚くポルトゥーガ。「心の中でだよ。誰かが嫌いになったら、その人は心から消してやるんだ」。「そうか。だが、君は前に わしを殺してやるって言ったぞ」。「今は、友達でしょ。お菓子やジュースやトレカをくれるからじゃなくてね」。「じゃあ、友達からの忠告だ、もう『殺す』なんて言うんじゃないぞ」。「今日、僕が死んだら、もう二度と言わない」。「どういう意味だ?」。「さよならを言いに来たんだよ。今夜、マンガラチバ鉄道に身を投げるから」(1枚目の写真)。「ゼゼ、そんなこと言わないでくれ。素晴らしい人生が君を待ってるんだ」。「僕、無用の人間なんだ。いなくなれば、食い扶ちが一人減る」。「とんでもない。わしは君が大好きだ。君が思ってる以上に。それにな、今はそういう年頃なんだ。じきに忘れて元の君に戻る」。そう慰めると、今度は、ゼゼの肩に手をやり、「毎日、素晴らしい天気が続くな。魚釣りをしたり、ピクニックをしたい気分だ。付き合ってくれるか? どうだ? 嫌なら来なくてもいいんだよ」。複雑な表情で頷くゼゼ(3枚目の写真)。今夜自殺すると言ったのに、翌日のピクニックを了承したからだ。帰り際、ポルトゥーガが念を押すように言う。「二度とあんなこと、口にするんじゃないぞ」。「何のこと?」。「マンガラチバ鉄道」。「いいよ」。それでも、ゼゼのことが心配なポルトゥーガは、夜、ゼゼの家の前までやってくる。そして、列車が来てもゼゼが現れない(3枚目の写真)のを見てホッとする。ポルトゥーガの人柄と、2人の友情の深さが分かる、とても心温まるシーンだ。この時、ゼゼはオレンジの木の下にいた。
  
  
  

ゼゼが、1匹の魚を持って父の前に現われる。「やあ、父さん、今日、大きな魚 捕まえたよ」(1枚目の写真)。いっぱい遊んだけど、悪いことは何もしなかった。この魚、食べられるよね。これもっとたくさん捕まえれば、食事も増えるんじゃないかな」。何を言っても、父は黙ったままだ。そこで、ゼゼはさらに、「これ気に入るよ。男らしい歌なんだ」と言って、歌い始める。「♪俺は かみさんと一緒。俺たちは 無一文で貧乏。持ち物は全部売った。俺たちは 腹が減ってきた。かみさんは太った不精な猫ちゃんで、俺はこう言ってやった。マンコを売ってこい」。それでも反応がないので、ゼゼは魚を置いて、出て行こうとする。父は、歌の前半は自分のことを言われた気がして腹を立てていた上に、最後の禁句が加わり、「ゼゼ、ここに来い」と呼び戻し、「もう一度 歌ってみろ」と命じる。ゼゼが「♪マンコを売ってこい」と歌うと(2枚目の写真)、父はゼゼの横っ面を思い切り張り飛ばす。そしてさらに、「もう一度」と命じ、ゼゼが禁句を歌う度に叩く。父親にボコボコにされたゼゼは、「なんで僕を殺さないんだ?」と叫ぶ。ゼゼは心の中で父を殺し、空想の中で、父は死んで池に浮かんでいる。夜遅く帰宅した母は、一晩中、傷付いたゼゼに添い寝をした。そして早朝、「バスに乗らないといけないわ。お前は眠りなさい」と話しかける。「僕、生まれるべきじゃなかったんだ」(3枚目の写真)。母は、「バカをお言い。お前が生意気すぎるのよ。父さんは、お前にあざけられたと思ったの」と言い残すと、仕事に出かけて行った。
  
  
  

ゼゼはポルトゥーガと釣りに行く。「ちっともかからないね」。「ああ」。そのうちにゼゼの竿に手ごたえがあり、「かかった!」と叫ぶ。ポルトゥーガは、冗談でゼゼのお尻を押して、湖に突き落とす。2人とも笑っているのは、強い絆の現れだ。その後、大木の下に移動する。ポルトゥーガのお気に入りの「昼寝の木」だ。ゼゼ:「木に名前はあるの?」。「カルロッタ女王」。「話しかけてくれる?」。「いいや、眠くさせるだけだ」。「じゃあ、ピンキーの方がお利口だね」。「シャツが濡れたままだ。脱いで日に干したらどうだ」。「このままでいいよ」。「カゼひくぞ」。「大丈夫」。「わしの前でシャツを脱ぐのが恥ずかしいのか?」。「そんなじゃないよ」と言って、ゼゼは渋々シャツを脱ぐ。実は、殴られてできた黒アザを見られたくなかったのだ。それを見て、「痛むのか?」と心配するポルトゥーガ。「あんまり」。そして2人は仲良く並んで横になる。ゼゼは、ポルトゥーガに話しかける。「娘さんは、1人しかいなかったよね?」。「そうだ」。「孫もいないんだよね?」。「そうだ」。「今は、1人で住んでる。でしょ?」(1枚目の写真)。「そうだ」。「僕のこと、好きでしょ?」。「そうだ」。「じゃあ、どうして僕の家に来て、父さんに、僕をくれって言わないの?」(2枚目の写真)。これは、重大な告白だ。驚いたポルトゥーガは、「ゼゼ、君は本気でわしの子になりたいのか?」と尋ねる。「嫌なら、しなくていいんだよ」。「そんなことじゃない。ただ、世の中、すべてが思い通りにはならないんだ。君が大好きなことは変わらないがね。君を実の息子のように思ってる。わしの出来ることなら、何でも手助けしてあげよう。君の父親のようにね」。「それホント?」。感極まったポルトゥーガは、「そうだよ、プレゼントも持ってきた」と言って箱を渡す。ゼゼが開けると、中には、あの貴重な万年筆が入っていた。父親から息子へと引き継がれていくべき継承物が。ゼゼは、ポルトゥーガにとって、「息子」なのだ。それを見て嬉しそうなゼゼ(3枚目の写真)。「継承物?」。「そうだよ。素晴らしい話を書いておくれ」。そして、「おいで、他にも見せたいものがある」と話す。それは、シトロエンのリアバンパーにゼゼを載せ、ゼゼの学校の前の道路を走らせることだった。これでゼゼの株は上がる。
  
  
  

ある日、学校へ向かう途中、ゼゼは兄からショッキングな話を2つ聞かされる。1つ目は、今住んでいる家のそばに新しく道路を造ることになったので、オレンジの木を含めてすべてがなくなること、2つ目は、父に工場の支配人の仕事が見つかったので、リオの近くに引っ越すということ。ゼゼは、2つの大切な宝、オレンジの木とポルトゥーガと別れなくてはならない。ゼゼは、授業中に教室に入ってくると、放心状態で席に着く。授業は地理の時間中で、先生はゼゼに、「黒板まで来て、私たちの町のどこが美しいか書いてもらえる」と声をかける。ゼゼは、「AQUI É O MELHOR LUGAR DO MUNDO (ここは世界中で一番の場所です)」と書くが、その時、別の、もっと遅刻して入って来た生徒が、「ポルトゥーガの車が踏み切りで列車と衝突したぞ! 跡形もない!」とみんなに告げる。それを聞き、魂を抜かれたようになるゼゼ(1枚目の写真)。ゼゼは教室を抜け出すと、線路を全速で走り、踏み切りに向かう。そこで見たものは、ディーゼル機関車の前の人だかりと、バラバラになった車の残骸。ゼゼは、線路際に落ちていたフェンダーミラーを拾って涙にくれる(2枚目の写真)。そして、最後には線路上で気絶する(3枚目の写真)。
  
  
  

それからのゼゼは、寝込んだまま(1枚目の写真)、一言も口をきかない。遂には、医者が往診に来るが、胸を見ようと前をはだけると、殴られた後の黒アザが残っている(2枚目の写真)。「この打撲傷は何ですか?」の質問に、母は「この子、よく羽目を外すので、何度も落ちたりしました」と嘘をつく。「これは、何度も殴られた跡ですよ」。医者はお見通しだ。父は、それには答えず、「どこが悪いんです、先生?」と訊く。「ショック状態です。強い精神的外傷と呼ばれるものです。何か深刻なことが起きたのでしょう」。ある日、ゼゼが寝ていると、兄が涙を流しながら、「新しく道路を造るから、オレンジの木がなくなる」と話したのは、間違っていたと詫びにくるが、ゼゼは黙ったままだ。数日して、ゼゼは、ベッドに寝ながらオレンジの木の声を出す。「ゼゼ、起きるんだ」。ゼゼが振り向いて窓を見ると、そこにはオレンジの木のシルエットが。「ピンキー?」と言って、窓まで行く。「どうやって、ここまで来たんだい?」。オレンジの木は、逆に、「じゃあ、ゼゼ、どうやって世界の果てまで行くんだ? どうやって悪と戦うんだ?」と訊き、「遠乗りに誘いに来たんだ」と言う(3枚目の写真)。「行きたくないよ。力が出ない」。「新鮮な空気は体にいいぞ」。「分かったよ。だけど、ポルトゥーガの家には行かないって約束できる?」。「約束しよう。他の所に行くから、乗れよ」。空想の中で白馬に跨るゼゼ。白馬は約束に反して、ポルトゥーガの家に連れて行き、さらにマンガラチバ鉄道の線路に入り込む。正面から列車が来て、ぶつかりそうになったところで、ゼゼは夢から覚めた。その後、ゼゼは起き上がることができるようになる。依然として生気を欠いたままで、ゼゼに似て想像力たっぷりの弟の遊びにも無関心だ。そんな時、父がゼゼを呼び、「人生、すべてが最悪な時期がある。だが、今やすべてが好転しつつある。いい仕事が見つかった。もう二度とあのようなことは起きないと約束する。昔のようになるんだ。母さんは、もっと長く家にいられる。お前たちに新しい服も買ってやれる」。その時、ゼゼの頭の中にポルトゥーガの言葉が聞こえてくる。「一緒にドライブに行こう。素敵なお話を聞かせてくれ。みんなにも聞かせるんだ。そしたら、わしの母国に連れて行ってやる。来たいだろ?」。ゼゼは、「どこにでも付いてくよ、父さん」と元気なく答える。
  
  
  

ゼゼは、ヘドロの貯蔵塔の底を空けると、宝物入れの缶から万年筆を取り出してズボンのポケットにしまい、流れ出たヘドロの中に缶を放り込む。そして、塔に登ると、マンガラチバ鉄道をずっと監視し始めた(1枚目の写真)。塔は、ポルトゥーガが死んだ踏み切りを見おろす場所に建っている。そのうちに、列車が近付いてくる音がする。列車の姿を目にすると、ゼゼは塔のハシゴを降り、踏み切りに向かって全力で走り出した。以前見た、シトロエンと列車の競争のように。走るゼゼ。近付く列車。ゼゼは、間一髪、ぎりぎりで列車の前をすり抜けることができた(2枚目の写真)。線路脇に立ったまま、喜びにひたるゼゼ(3枚目の写真)。自分は、ポルトゥーガと同じことができたのだ!
  
  
  

オレンジの木の根元に寝転がったゼゼ。「君とは、もうおしゃべりできないけど、君はいつまでの僕の木だ」と語りかける。そして、万年筆を手にして、「友達のポルトゥーガ。これが最初のお話だよ」(1枚目の写真)と言うと、紙に物語を書き始める。その姿を見て、笑みを浮かべるゴダイアと、ホッと胸をなでおろす母と父。すると、映画は最初の、成人したゼゼと、ポルトゥーガの墓のシーンに戻る。ゼゼは、墓石に埋め込まれたポルトゥーガの顔写真に髭を描き入れると、原稿を残したままシトロエンに戻る。そして、昔、自分が乗せてもらった時、いつもしていたように、運転中に窓から顔を出して喜びに浸る(2枚目の写真)。
  
  

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